hkondo's tumblr

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Feb 24
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わしらは最近、ごはんを食べるのに二時間もかかりよる。
いれ歯のせいではない。食べることと生きることの、区別がようつかんようになったのだ。

たとえばこうして婆さんが卵焼きを作る。わしはそれを食べて、昔よく花見に行ったことを思い出す
そういえば今年はうちの桜がまだ咲いとらんな、と思いながら庭を見ると
婆さんはかすかに微笑んで、あの木はとっくに切ったじゃないですか、と言う。
二十年も前に、毛虫がついて難儀して、お爺さん御自身でお切りになったじゃないですか。
「そうだったかな」
わしはぽっくりと黄色い卵焼きをもう一つ口に入れ、そうだったかもしらん、と思う。
そしてふと箸を置いた瞬間に、その二十年をもう一度生きてしまったりする。
婆さんは婆さんで、たとえば今も鯵ををつつきながら、
辰夫は来年こそ無事大学に入れるといいですね、などと言う。
「ちがうよ。そりゃ辰夫じゃない」
鯵が好物の辰夫はわしらの息子で、この春試験に失敗したのはわしらの孫、辰夫の息子なのだった。
説明すると、婆さんは少しも驚いた顔をせず、そうそう、そうでしたね、と言って微笑する。
まるで、そんなのどちらでも同じことだというように。
すると、白い御飯をゆっくりゆっくり噛んでいる婆さんの
伏せたまつげを三十年も四十年もの時間が滑っていくのが見えるのだ。
「どうしたんです、ぼんやりして」 御飯から顔をあげて婆さんが言う。
「おつゆがさめますよ」わしはうなずいてお椀を啜った。
小さなてまりふが、唇にやわらかい。昔、婆さんもてまりふのようにやわらかい娘だった。
てまりふのようにやわらかくて、卵焼きのように優しい味がした。
うふふ、と恥ずかしそうに婆さんが笑うので、わしは心の中を見透かされたようできまりが悪くなる。
「なぜ笑う」
ぶっきらぼうに訊くと、婆さんは首を少し傾けて、お爺さんだって昔こんな風でしたよ、
と言いながら箸で浅漬けのきゅうりをつまむ。

ふいに、わしは妙なことに気がついた。婆さんが浴衣を着ているのだ。
白地に桔梗をを染め抜いた、いかにも涼しげなやつだ
「お前、いくら何でも浴衣は早くないか」
わしが言うと婆さんは穏やかに首をふり、目を細めて濡れ緑づたいに庭を見た。
「こんなにいい天気ですから大丈夫ですよ」
たしかに庭はうらうらとあたたかそうだった。
「飯がすんだら散歩にでもいくか。土手の桜がちょうど見頃じゃろう」
婆さんは、ころころと嬉しそうに声をたてて笑う。
「きのうもおとついもそう仰有って、きのうもおとついもでかけましたよ」
ふむ、そう言われればそんな気もして、わしは黙った。そうか、きのうもおとといも散歩したか。
婆さんは、まだくつくつ笑っている。
「いいじゃないか」
少し乱暴にわしは言った。
「きのうもおとといも散歩をして、きょうもまた散歩をしてどこが悪い」
はいはい、と言いながら、婆さんは笑顔のままでお茶をいれる。ほとほとと、快い音をたてて熱い緑茶が湯呑みにおちる。
「そんなに笑うと皺がふえるぞ」
わしが言い、浅漬けのきゅうりをぱりぱりと食った。

土手は桜が満開で、散歩の人手も多く、ベンチはどれもふさがっていた。
子供やら犬やらでにぎやかな道を、わしらはならんでゆっくり歩く。
風が吹くと、花びらがたくさんこぼれおちう、風景がこまかく白い模様になった。
「空気がいいにおいですねぇ」
婆さんはうっとりと言う。
「いいですねぇ、春は」
わしは無言で歩き続けた。昔から、簡単の言葉は婆さんの方が得手なのだ。
婆さんにまかせておけば、わしの気持ちまでちゃんと代弁してくれる。
足音がやんだので横を見ると、婆さんはしゃがみこんでぺんぺんで草をつんでいた。
「行くぞ」
桜がこんなに咲いているのだから、雑草など放っておけばいいものを、と思ったが、
ぺんぺん草の葉をむいて、嬉しそうに揺らしながら歩いている婆さんを見たら、どうもそうは言えんかった。
背中に、日ざしがあたたかい

散歩から戻ると、妙子さんがちゃぶだいを拭いていた。
「お帰りなさい。いかがでした、お散歩は」
妙子さんは次男の嫁で、電車で二駅のところに住んでいる。
「いや、すまないね、すっかりかたづけさせちゃって。いいんだよ今はこれがやるから」
ひょいと顎で婆さんを促そうとすると、そこには誰も居なかった。
妙子さんはほんのつかの間同情的な顔になり、そこからことさら明るい声で、
「それよりお味、薄すぎませんでした」と訊く
「ああ、あれは妙子さんが着くってれたのか。わしはまたてっきり婆さんが作ったのかと思ったよ」
頭が少しぼんやりし、急に疲労を感じて濡れ緑に腰をおろした。
「婆さんはどこかな」
声を出して言いながら、わしはふいにくっきりと思い出す。

あれはもう死んだのだ。
去年の夏、カゼをこじらせて死んだのだ。
「妙子さん」
わしは呼びかけ、その声の弱々しさに自分で驚いた。
なんですか、と次男の嫁はやさしくこたえる。
「夕飯にも、卵焼きとてまりふのおつゆをつくってくれんかな」
いいですよ、と言って、次男の嫁はあかるく笑った。

わしは最近、ごはんを食べるのに二時間もかかりよる。
入れ歯のせいではない。食べることと生きることとの、区別がようつかんようになったのだ。


(江國香織『晴れた空の下で』より)

No.14489 わしらは最近、ごはんを食べるのに二… - コピペ運動会

気合いで我慢したけど.ほとんど泣いてしまった.オフィスに一人で良かった.

たとえばKindleとかでこれを見ちゃって,「この著者の他の本のリスト」とかいうリンクがあったらやばかった.たぶんほとんどカートにたたき込んでそのまま会計するところだっただろう.